2011年4月18日月曜日

気仙沼にいるアビスの日記より

支援活動を行っているアビスの4月1日の日記です。 
先ほどの地震(4月7日深夜)のあと携帯電話がつながりぶじを確認しました。
以下、アビスの日記を掲載します。[ 祖牛] 



その後の避難所の様子。

ちょうどいいペースで、
荷物が届いてます。
ありがとうございます。


昨日、門ちゃんの住む、気仙沼市唐桑町に行ってきました。
唐桑は、三陸沿岸を南北につなぐ、

国道45号線から右に折れ南に延びる半島です。
三陸は、リアース式海岸の特有の、
海まで山が迫っている地形が、特徴です。

唐桑半島もその手前から、
手付かずの山林があり、
気仙沼の市街地と唐桑の居住区を隔てています。

そのせいか、ライフラインの復旧は、
俺の知る限り市内のどこよりも遅れています。
電気、水道、電話が、まだだめだと聞いていましたが、

門ちゃん宅や、避難所にいってみると、
30日に水道がやっと出たと、喜ぶ人の声を耳にしました。

とは言うものの、水道はまだ、全面普及とまでは行かず、
避難所に行く途中、
ほしまつりで、いつも縁の下の力持ちになったいる

天理教の唐桑地区の会長さんが、
トラックで水の運搬をしてました。
会長さんは、俺の大好きな人で、

今回はじめての唐桑半島への物資の運搬で、
今後の為にも、是非会いたい人でした。
緊急時の緊急モード人間と、

コンタクトを取るには、
天に任せるしかないと思ってましたが、
起きたこの偶然を、やっぱり必然と解釈する俺です。


4軒の避難所に荷物を届けさせたもらった感想は、
支援物資の流れは、日本で始めて行政が災害時に、

運搬を民間に(今回はクロネコに委託したそうです。)
委託したとのニュースを耳にしただけあって、
かなり行き渡っていました。

これから、もうひとつ日記を書いてそこに
リストの変更を書こうと思っています。

かなり荷物が行き渡っていたと表現しましたが、

場所によっては、まだ物が届かないところもあると、聞きます。
正直なところ、全体的なところを把握できていないです。

今後は、物資の運搬を続けながら、
避難所との関係性の形成に力をいれて、
いち早くニーズを伝えられるようにしたいと思ってます。

思ってはいるけど、すべてが手探りです。

避難所の様子は、その避難所、避難所で、
空気の違いを感じます。

その空気の違いは、避難当初、
行政の管理から始まったか、
それとも自治会の運営から始まったか、

じゃないかなぁと、思える節があります。
ま、避難所には荷物の受け渡しだけですから、
長くて15分ぐらいしかいません。

そんな中での感じたことですから、
当てには、なりませんね。
今は、長丁場と思い主張せず、
感じをうかがっています。


唐桑は、漁師町だけあって、
放射能に無関心じゃないように思われます。
福島原発から、直線で180Km。

海を職場にする人たちには、
死活問題です。
でも今は、その職場での道具、
漁船、養殖イカダなどが、

津波の被害でどうなっているのでしょうか?
素人の俺には、プロの心中を察することなどできません。

昨日、日が落ちるころ、市内鹿折地区のはずれの、
東陵高校も寄って見ました。

日も暮れ、ほとんどの荷物を唐桑で受けて頂いたのですが、
子供用のクレヨン等の物が残っていたので、
今夜からでも、子供が遊べればと思って、

寄って見ました。
受付に荷物を渡し、帰ろうとしたら、二組のお母さんと子供が、
歯を磨いていました。

やっといいタイミングだと思いました。
荷物の運搬を始めてから、
荷物は直接被災された方に渡すことはできず、

避難所の受付にお願いしてきました。
できれば、みんなから預かった荷物を、
直接渡し、受け取ってくれた時の様子を、

ご報告したいのですが、
受付の方を通り越しての行為は、
長く続かないのではないだろうかと思い、

直接渡すことは、していませんでした。
でも、やっと二人の子供に渡すことができました。
小学2年生ぐらいの男の子と、
3、4才ぐらいの男の子でした。
二人の子には、画用紙帳とクレヨンをもらってもらいました。
そして俺は、笑みを浮かべて小躍りする妖精を

目にすることができました